コーヒー見聞録column

日本で最初にコーヒーを飲んだ人は?

更新日: 2018年10月10日

日本で最初にコーヒーを飲んだのは誰でしょう?

名乗りを上げた人は記録の上で残念ながらまだ見つかっていませんが、オランダ語から英語に訳され、日蘭学会が刊行した”Dejima Diaries”(『オランダ商館日記』)には、「コーヒー豆を欲しがった人」として薩摩藩の第8代藩主島津重豪公(1745-1833)のことが書かれています。

1792(寛政4)年3月9日の商館長日記に「薩摩藩主(=将軍の義父)が、コーヒー豆と軟膏及び膏薬を送ってくれと頼んでいる」という記載があります。
これは島津重豪公のことで、彼は第11代将軍徳川家斉の正室(御台所)・広大院の父であり オランダが大好きないわゆる「蘭癖大名」のひとりとされていて、何度か出島も訪れています。
天文学などにも興味を持ち、医療技術の養成にも尽力し、その後1774(安政3年)には医学院を設立し、教育にも熱心で武士だけでなく町民などにも教育の機会を与えた人でした。

続く1792(寛政4)年3月29日の商館長日誌には「3月9日の重豪公の依頼に応じて、商館長ヘンドリック・ドゥーフ(1777-1835)が何種類かの薬とコーヒーを送った」という記載があることから、きっと島津重豪公は届いたら時を置かずにコーヒーを飲んだことでしょう。当時彼がコーヒーを嗜好品というより薬と考えていたのかそのあたりは不明です。

なお、重豪公は大変な酒豪であったにもかかわらず、80歳を越えても薩摩から江戸、長崎と各地を往来し、シーボルト(1796-1866)からも「80歳と過ぎても60歳代にしか見えない」といわれたとのことで、89歳という長寿をもって大往生を遂げています。また子宝にも恵まれ、正室及び側室との間に少なくとも七男十二女が知られています。 

重豪公が元気で長生きしたのはコーヒー好きだったから?と考えるのはうがちすぎでしょうか?

重豪公の日常とコーヒーについての関連性はきっと薩摩藩関連の古文書を詳しく研究しないとわからず、重豪公が実際にどのようにコーヒーを飲んだのかどうかは不明ですが、重豪公が記録に残る日本におけるコーヒー好きの先駆者の一人として捉えてもよいのではと思っています。
(Y.I)

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